山吹味噌は、信州小諸で創業340余年。
上質な本物の味噌をお届けします。

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 豚汁のルーツは諸説あり、けんちん汁、薩摩汁、屯田兵の汁、牡丹鍋などが挙がるそうですが、私は牡丹鍋の原形と思われる〝猪汁〟を推したいです。なぜなら豚汁は全国区のお味噌汁であり、時代性も加味したいからです。  牡丹鍋と猪汁は同じでしょ!?まあ、似て非なる、でしょう。まず、猪汁は日本人との付き合いがとんでもなく長い汁物です。どのくらい長いかって? 縄文人が土器を生み出したころから原形はあったと言ってもいい!?  人間が火を見い出すまでは植物も動物・魚貝も生食でした。火を手に入れたことにより炙って食べるようになり、土器を発明したことにより、煮て食べることが始まったわけです。植物を舌や肌に当て毒がないことを確かめ、狩った獣肉や漁した魚貝も沸騰水で煮ることによって安全さが増したはずです。海水や岩塩によって味付けの妙も知ったことでしょう。  日本人は農耕民族といいますが、農耕・稲作が始まる前は当然ながら採取・狩猟して食料を確保していました。貝塚や遺跡からは哺乳動物の骨が見つかるそうで、その9割は鹿および猪なんだとか。  猪=イノシシの名が出たので申しますと、古い大和言葉では魚肉をウヲ、鴨などの禽肉をトリ、獣肉をシシと呼ぶそう。ですからイノシシとは「猪(イ)」の肉のことをさすのですね。「鹿(カ)」の肉を現代人はシカニクと言っていますが昔はカノシシと言っていたそうです。  飛鳥時代に我が国に仏教が伝えられると動物の殺生と肉食が禁じられるように。しかし奈良・平安時代、以前より習慣として食べられていた鹿と猪は獣肉であっても禁じられなかったそうです。なぜなら、鹿猪は田畑を荒らす害獣だったからです。捕らえた猪を飼育し家畜化も始まりました。ただし貴族は肉食を禁忌し、鳥や魚を食しました。鎌倉時代になると武士が台頭し、獣肉に対する禁忌は薄まりました。僧・法然は自身の肉食は忌避していましたが、肉食をしても念仏を唱えれば救われると説いたと授業で教わった気がします。  徳川の治世、5代将軍・綱吉が生類憐れみの令を発令。法自体は一時的だったのに肉食は憚かられるものとして浸透し、鹿を紅葉、馬を桜・けとばし、猪は牡丹・山くじらと隠語で呼ぶ洒落も楽しみ、滋養になるというわけで、肉食全体を薬喰いと称したのでした。  中でも味がよい上に、すぐ精気に効き目があると言われたのが猪肉。猪は最も脂がのる冬が一番とされ、猪が手に入った日には囲炉裏または竈に大鍋でたっぷり猪汁(猪の味噌汁)を作り、大人数で薬喰いしたことでしょう。そんなに体にいいなら都会人だって食べたいのが人情。江戸の町はずれ、麹町あたりには獣肉を扱う店が軒を連ねていたそうです。皆さんも「山くじら」の看板が描かれた雪の日の江戸百景図をご覧になったことがあるかもしれません。当時、店で出されたのが牡丹鍋。そのころ七輪が発明され、一人でも少人数でも鍋を食せるようになったのです。猪汁とは作り方も異なり、甘味噌で土手を作り、猪肉を葱・牛蒡、汁とともに煮つつ食するものでした。  そんなこんな、日本全土の先人に猪肉の汁物と長い付き合いがあったことがご理解いただけましたでしょうか。近代になって豚肉が出回った時には猪汁や牡丹鍋に慣れてきたベースがありました。肉を豚肉に替えて、豚汁の始まりです。  長野県の南端・遠山郷で、畑を荒らして困る猪を捕獲している猟師さんから話を聞き、その足で山肉料理店へ向かったことがありました。最近は猪や熊が山里どころか町に出没したというニュースをよく目にし、気がかりです。

(当主)

全国的に食べられる理由  豚汁というメニューが世に出たのは昔の軍隊なのだとか。カレーやシチューには抵抗があった兵隊さんにも食べ慣れていたお味噌汁に豚肉を加えただけなら受け入れられやすく、使う豚肉は高級部位より細切れや切り落としのほうが適していますから経済的。野菜は常備できるじゃが芋・にんじん・玉ねぎの根菜だけでもOKで、一椀にたんぱく質、ビタミンB・C、カロチンなどさまざまな栄養が摂れ、また、豚から脂が出るため、野外や寒季でも汁が冷めにくく、体も温まる、というわけで、軍隊の食事にうってつけだったとされます。  軍役を終えた兵隊さんは郷里に戻ります。豚肉入りの味噌汁は各地で伝授されたことでしょう。  作り方が単純でボリューム感もあり、ご飯さえあれば、ほかにおかずがなくったってイケますからキャンプ・課外活動にも人気です。一人暮らしでも大家族でも、学生街の定食屋さんでも定番ですね。 味付けは?  日本での養豚は薩摩藩で始まり、幕末には江戸の町で豚肉食が流行したそうです。江戸広小路の店の豚鍋は天保銭1枚=100文(実際は80文の価値でお米が1升買えました)。江戸勤番侍の日記には、外食でなく、「風邪気味なので、薬代わりに豚肉をしばしば購入。味噌やタレなどで味付けし猪同様、ネギと一緒に鍋で食べた」とあります。  豚汁のルーツの一つにけんちん汁説があります。けんちん汁も根菜類を入れますが精進料理ですから肉類は入れず、味付けがしょうゆ味というのが原則。対して豚汁の味付けは味噌のお宅がほとんどではないでしょうか。  ところで、ある社員食堂の豚汁が評判と聞き、コツを尋ねると「味付けは味噌だけど最後にしょうゆを垂らすノサ」と小声で教えてくれました。なーるほど。 トン汁かブタ汁か  さて、ここまで豚汁を何と発音していましたか?トン汁と呼んだなら東日本の出身者ではないですか?北海道を除く東日本ではトン汁と呼ぶ人が多く(豚のカツもトンカツと呼ぶ)、西日本出身者はブタ汁と呼ぶ。西日本では単に肉と言えば牛をさすので豚肉を使った汁はブタ汁。肉まんも関西ではブタマンでしたっけ。  呼び方はそれぞれでも構いませんよね。今夜は冷えそう。豚汁の出番ですよ!  「大切なあの方に食べてもらいたい」、こんな思いを込めた特別な商品が山吹味噌に受け継がれてきました。永い間広く一般に宣伝をすることなく、限られたお得意様だけにご利用いただいてきた商品・「豫約醸造」です。  文字通り、味噌の醸造を前もって予約していただくということなのですが、予約時期は年初ころというのが決まり。お客様が、その年の暮れのお歳暮用として、手塩と時間をかけて醸された特上の味噌を贈るために、約一年前の、すなわち仕込み作業を始める以前の年明けごろに蔵元(弊社)に予約発注。受けた蔵は1月の下旬、1年で一番寒いとされる大寒の時期に、新しく収穫された新穀の大豆を使い、じっくりと仕込んでゆっくり育てる──というもので、近年はお知り合いにプレゼントするだけでなく、ご自身が自家用に購入いただく方々も増えてきました。  「豫約醸造」ならではの味噌造りの様子をもう少し詳しくお伝えしましょう。大寒の時期、天然熟成の蔵に収められた味噌の温度は当初外気が零下の寒さゆえ、一旦は0度近くまで下がった後、春の到来に合わせてゆっくりと上昇していきます。本当に少しずつの変化を重ね、6月の後半になると蔵の管理者ならば見分けられる程に醗酵が始まります。この後しばらく経つと誰の目にも活きて動いているのが分かるようになります。  夏の最中の、8月のお盆前、醗酵はピークを迎え、暑い日ざしの中で天地返しと呼ばれる手入れを行います。  その後、秋風が吹いて涼しくなるまでの間、夏の温度をどこまで保つか、涼しさをいつ取り込むか、桶の中の味噌の顔色をうかがいながら、蔵内の温度を調整していきます。  夏の主醗酵の後は後熟と呼ばれ、秋の静寂の中で香りが作り出されます。こんな経過を含め、ほぼ10ケ月を経た後、味噌は完熟を迎え、熟成蔵から出されて小袋やカップに充填され、出荷へと回されます。  一般の味噌はメーカーが自社規格で生産したものを店頭等にて不特定多数のお客様にいつでも選んで購入していただく、というスタイルなのに対し、「豫約醸造」は買う人が予め必要な量だけの仕込みを蔵に注文し、出来上がった時にそれを引き取ってギフトなり、自家用に使用してもらいます。予約をしておかなかった時は入手することが出来ない、という限定の商品となっています。  お気付かれたと思いますが、商品名に用いている予約のヨの字は旧字の「豫」。これはお客様と私ども、相互の信頼関係を象徴する商品でありますことから、代々が用いてきた文字遣いをそのまま受け継がせていただいています。  来年へ向けて、お考えになってみてはいかがでしょうか。

( M・T )

 明智光秀ゆかりの猪汁を出す店に行かないか、と友人。曰く、光秀の浪人時代、輪番制で味噌汁を出す汁講の番が同ってきたときに奥さんが髪を売ってもてなした猪汁を再現しているとのこと。食べてみたいねえ、いずれ一緒に行こう、となりましたが、光秀の妻が髪を……という黒髪伝説は聞いたことがあるものの、光秀が汁講!?猪汁を出した!?そんな説あったかなぁとモヤモヤも少し残りました。  いわゆる黒髪伝説とは――越前・称念寺にて浪人中の光秀に住職が仕官につながればと連歌会の段取りをしてくれますが、日々の糧すら欠く毎日。困り果てる光秀に妻は「お任せあれ」。会が終わって後、どう工面したのか問うと「黒髪を切って売りました」。女の命である髪を切ってまで自分に尽してくれる妻に報いるため光秀は一念発起し仕官の旅へ。朝倉氏、そして織田信長の下で頭角を現していく後半生、妻から受けた恩を常に忘れません、というもの。江戸初期には、かの芭蕉が「月さびよ明智が妻の話せん」と詠み、読本や芝居の材ともなり、多くの人々が知る伝説となったのでした。  では、光秀=汁講・猪汁情報はいずこから?現代はネット検索というものがあって便利ですね。すると光秀=汁講について『名将言行録』という書物がヒット、「光秀貧賤のころ朋友が集まって輪番に汁講して談話した/妻が髪を切ってあつらえた」と載るということがサクサク出てきました。  実際この目で見たく 図書館に向かいますと、明治2年に刊行されたというその本は武将178人の言行事蹟をさまざまな書物から抜粋した全70巻の大著ということで一般図書館にて見ることが出来たのはダイジェスト版。そこに光秀は取り上げられておらず残念無念。  しかし、『武士のメシ』(永山久夫著/宝島社)を見つけました。永山氏といえば大河ドラマの食事の再現や時代考証を手掛けてきた食文化史研究の第一人者です。その本に登場させた19武将の中に明智光秀もいて、見出しはまさに「汁講の膳」。本文内で氏は「『名将言行録』に妻が髪を売って……というエピソードを記すともに、「『名将言行録』には具材に関する記述はないため、当時の味噌汁の具として一般的だった里芋、ごぼう、ねぎを入れ、さらに豪勢さを表現するためにイノシシ肉を加えて、光秀の汁を再現」と記し、猪汁や汁講に客人各々が持参したであろうメンパに入ったご飯の再現写真を掲載していました。  光秀ゆかりの猪汁をますます食べたくなりました。ちなみに『名将言行録』の徳川光圀(水戸黄門)の項にも汁講の話が登場するようです。編纂に要した幕末期、汁講の語は武将たちの戦い以外の人柄を伝えるに格好の題材だったのかもしれませんね。  はてさて、明智光秀の話題から飛んで、時は昭和半ば、私は京都の四条あたりをぶらついておりました。腹の虫が鳴って食べ物屋を物色。白い大暖簾に惹かれて入りますと定食があり、汁ものは赤・白味噌、すましから選べるというので、せっかく京都に来たのですから白味噌で注文。口福を得たことでした。 “志る幸”さんは今も盛況のようです。店名の由来が「汁講」にあると知ったのはつい最近のこと。この年になるまでとんと気付かなかったとはお恥ずかしい限り・・・・。

(当主)

味噌を入れるタイミングは、具材に火が通っての“にえばな”で 火を消すタイミングは再びの“にえばな” 。 でも、 そもそも、にえばなって何? にえばなとは?  “にえばな”は煮え端と書きます。端(はな)とは、その状態に入ったすぐ後のこと。端の用例に「寝入りばなに起こされた」なんていうのもありますが、調理の場合、汁物や煮物の具材に火が通って煮立ち始めた状態です。  味噌汁作りで味噌を溶き入れるタイミングは、 まさにこの時。勢いがいったん鎮まって、 再び汁の上層が下からゆらゆらしてきたら=煮え端になったら火を止めます。味噌の香りがいちばん引き立つ、 このコツは昔から伝えられてきたことですが現代科学でも実証されています。 香り成分  味噌特有の風味は、大豆が麹菌、酵母、乳酸菌によって発酵・熟成中に生成されたものです。味噌の香り成分を分析すると何と200種類以上もあり、炭化水素・アルコール・アルデヒド・エステル・有機酸(酢の仲間)の5グループに分類されます。  香り成分は気体になって鼻に来ることで初めて香りとして感じられます。温度が低いうちは気体にならず、加熱するとともに気体になりやすくなります。問題は、香り成分には気体になりやすい物質とそうでないものがあること。少し加熱するだけで揮発してなくなってしまう香りがあれば、長く加熱しないと香らないものもあるわけです。一番気体になりやすいグループのアルコール類がまだ汁に残っていて、 最も気体になりにくい有機酸も気体になって出てきている状態は90℃以上のとき。この時がいろんな香り成分がバランスよく味噌汁から気体になって飛び出していて、複雑ないい香りになるとされます。 煮え端は煮え花  お味噌汁のコツはタイミング!お分かりいただけましたか?プラスワン、煮え端は煮花にばなともいい、煮え花とも書きます。そのわけは――煮え立つ鍋内の汁の動きにアリ――見立てた先人を尊敬します。 6月、新型コロナウイルスの感染の広がりを防ぐために、政府は専門家会議からの「新しい生活様式」提言を踏まえ、感染防止の3つの基本①身体的距離の確保、②マスクの着用、③手洗い、をあげ、移動に際する注意や、日常生活では場面ごと(買い物や娯楽・スポーツなど)の実践例を示しました。 そのうち、食事場面では、◯持ち帰りや出前、デリバリーも◯大皿は避けて料理は個々に◯お酌、グラスやお猪口の回しのみは避けて、等の生活様式が望ましい、と明示。 自粛要請を受けて、企業は可能な限り社員の在宅勤務に移行しました。結果的に外食が滅り、内食・中食の割合が格段に増えたのでした。 振り返ってみますと、8本の社会が少子化・核家族化するにつれ、食事スタイルも変化して一家がそろってテープルを囲むことが少なくなると同時に、お米の消費は激滅し、ご飯とみそ汁という組み合わせは時代に合わなくなったとも思われました。 みそ汁の味付け役である味噌は800年程の時をかけて、日本人の食事のパートナーとしての役割を担い、健康長寿の下支えをしてきたものです。庶民が白いご飯を満足に食べられない江戸時代や明治期も、世界大戦の敗戦を経験して、少しずつ豊かになって大きく経済成長を遂げることが出来るようになった時期も、味噌は毎日少量ではありますが、野菜や海藻、魚や肉類と一緒にいつも身近にありました。 みそ汁のもたらす恩恵は食事における主役のような華々しさはないでしょうが、名わき役がドラマや舞台で重要なように、いつもの食事に欠かさずいて、栄養の一部と醗酵から得られる健康に不可欠な微量成分の提供者として再認識されてほしいものです。 400年ほど昔の江戸時代の人は科学的に深い知識はなかったものの、長い経験から味噌を「身礎」と称し、「味噌の医者いらず」などの言薬も残してきています。味噌の効用解明は大分進んできていますが、まだまだ深い奥がありそうな宝の山と言っても言い過ぎではないと思います。 ここへ来て、みそ汁の出現頻度が高まっているようです。人類は何度もウイルス禍に見舞われ、その都度乗り越えてきました。今回の禍の収束を祈りつつ、味噌という身近な宝物に気付いてもらえればと願うものです。

( M・T )

 新年を迎えてほどなく、最初のうちは中国国内だけで起きていたことのように感じていたものが、だんだんと広がりを見せ、そのうち気が付けば、世界は新型コロナウィルス感染症の脅威にさらされて、4月からは強制的に世の中の活動が停止させられたような状況になってきています。夏のオリンピックも延期になりました。  微生物の中でも最も小さなものとして分類されるウィルス属にこんなにも混乱させられるとは、誰も予想をしなかったことだと感じています。こんな時だからこそ、ご自身や家族の健康に思いを馳せ、どんな食生活が望ましいのかに関心を持っていただければと願い、みそ作りにとって一番身近なもの、良く知られているお味噌の効用をまとめてみました。
  1. みそはガンのリスクを下げる
    • 1日3杯以上のみそ汁で乳ガンの発生率が40%減少(厚生労働省研究班)
    • みその塩分は胃ガンを促進しない(広島大学・渡邊敦光名誉教授)
    • 喫煙者が毎日みそ汁を飲むと死亡率は低下する(国立がんセンター・平山雄博士)
  2. みそは生活習慣病のリスクを下げる
    • みそは脳卒中、痴呆症、心臓疾患などの発症を低下させる(大妻女子大学・青木宏教授)
    • みそ汁のある食事パターンが骨粗鬆症に効果(㈶癌研究会付属病院・陳瑞東医長)
    • みその褐色色素が糖尿病の改善に期待される(女子栄養大学・五明紀春教授)
  3. みそは老化を防止
    • 醗酵によってみそに老化制御機能が生まれる(東京農業大学・小泉武夫教授)
    • みそは熟成過程で抗酸化力を高める物質が生まれる(東京大学名誉教授・加藤博通)
  4. その他の研究
    • みそには血圧低下作用を持つ物質がある(食品総合研究所・河村幸雄室長)
    • みそには美白効果がある(食品総合研究所・新本洋士主任研究員)
そして今、新型コロナウィルス感染症の対策として「免疫力を高める」ということがさかんに言われるようになりました。 <免疫力とは、人の体に本来備わっている自然治癒力で、身体の中の自分とは異なる異物を認識し排除する力です>と説明されていますが、数値的な指標が定められているものではありません。 これは、以前より紹介をさせていただいている秋月辰一郎先生の書かれた「体質と食物」の[体質]とも共通するもののようにも思いますし、醗酵食品を多く食べることで、腸内菌叢が活性化し、腸内の善玉菌が増えることで食べ物などと一緒に侵入してきた有害な細菌類やウィルスをブロックして体内に吸収させない仕組みが働いて健康を保つことにも繋がる醸造の恩恵です。免疫力アップにも役立つ味噌汁を毎日ご愛飲、そして味噌を使った料理を沢山ご利用ください。
秋月辰一郎先生
秋月辰一郎先生
体質と食物
体質と食物
  息災を願う、特別具材のお味噌汁  昔、貴族や武将たちが客人の息災を願ってもてなした集め汁はいわば格上のお味噌汁でした。主人側は遠くから海産物を運ばせたり、空に飛ぶ鳥を撃ち落としたり、山や畑の美味なる食材集めるのに走り回ったわけで、まさにご馳走! 江戸時代になると庶民も身近な具で楽しんだそうで、当時の料理書『鯛百珍』には薩摩鯛の集め汁が載り、江戸の町で鹿児島の桜鯛を手に入れたのかと驚きます。 今の時代に私たちが作る集め汁  高級食材や手に入りにくいものを無理に集めなくても、気持ちを込めて集めることが大切。干しシイタケや干瓢、高野豆腐など乾物、大根、人参、ゴボウなどの根菜‥‥ある程度、保存がきく食材は日頃からストックしておくと何かと便利、集め汁にも重宝します。魚は水煮缶詰でもいいじゃありませんか。 味付けは味噌  味付けは醤油がなかった昔にならって味噌。いろいろな素材からおいしいダシ・旨みが出ますから特別にダシを加えなくてもOK。舌と鼻の感覚を呼び覚ましましょう。 美味で栄養バランスもよく、発酵食品・味噌の効能もあって免疫力・抵抗力に一役買うこと間違いなしの集め汁。盛り付ける際は、お椀に具・汁を入れて最後に、決めてとなる食材を真ん中に高めに盛るのがコツ。ご馳走感が出ます。味わっていただきましょう。  

集め汁はダシ不要。さぁ、作ってみましょう!

【材料】

魚肉・豆腐など、野菜(大根、ゴボウ、ネギ、菜類、干しシイタケなど)、味噌

【作り方】

  1. 下準備 ―――― 観物類は戻しておきます(戻し汁をダシとして使ってもよい)。鯛など生魚を使う場合は一口大に切り、金串に刺して焼くか、沸騰湯をかけます。ほかの具は食べやすい大きさに切ります。
  2. 根菜・乾物は自ら過熱し、火が通ったら魚または肉を入れて、浮いてきたアクを取り除きます。
  3. (葉物・豆腐類・水煮缶類は、この時点で加え、沸騰後に)味噌を溶き入れて出来上がり。
立ちくらみしませんか?自覚はないのに健康診断で貧血と指摘された!? 症状ある方も、そうでない方にもぜひおすすめしたい給食メニューがあります。 レバー料理が苦手な方にも 子どもが学校から帰ってくるなり「作って!」と言って見せてくれた給食メニュー名が「レバーの味噌ケチャップあえ」。給食は管理栄養士さんが子どもたちのために考えてくださる最良メニューです。そしてレバーは栄養的に、特に貧血対策にベストな食材。でも子どもたちは正直ですから、美味しくなければ残す。あるいは無理にでも食べさせられる(嫌々食べたものは体によい働きはしないと言われています)。そんななか、味噌ケチャップ和えのレバーはリクエストがかかるほどのおいしさということでレバー料理が苦手なアナタも試してみる価値アリです。 レバーの臭みを消し、栄養価も高くする味噌の味付け レバーが苦手な人は、素材の見た目、最初に食べたときのにおい・舌ざわりなどがよくなかったのでしょう。その点、この料理はレバー好きには邪道かもしれませんが、油で揚げたり味噌とケチャップで味付けすることでカモフラージュ(!?)ならぬ相乗効果を上げています。 お味噌の栄養価については山吹味噌リピーターなら既にご存知ですよね。 どのお味噌が合う? 普段お使いのお味噌でどうぞ。強いておすすめするなら、〈黄金〉〈赤つぶ〉〈玄米〉は油料理にも存分に使えて、高温料理しても風味が生きています。 ぜひご家庭でも作ってみて、健康に役立ててください。 給食レシピ(再現)

●レバーの味噌ケチャップあえ

【材料】

豚レバー、ショウガ、醤油、酒、片栗粉 タレ(味噌、ケチャップ)

【作り方】

  1. 豚レバーを食べやすい大きさに切り、すりおろしたショウガ、醤油、酒で下味を付けます。タレの材料は混ぜておきます。
  2. 下味を付けたレバーに片栗粉をまぶして揚げます。
  3. 揚げたレバーにタレをからめれば出来上がり。
*レバーを切った後に湯通しすると臭みが抜け、調理もしやすいです。鶏レバーの場合は揚げずに焼き色が付くよう炒めましょう。
冬は寒さがひとしおの長野県で味噌造りを続けています。 同じ県内でもマイナス15℃以下で乾燥・凍りづけになる地域と、それほどの低温にはならないものの、たくさんの積雪で3か月位は雪に閉ざされてしまう地域があります。当社には後者、積雪が多い地域の特徴を熟成に生かした商品があります。10年目を迎える「雪中熟成」味噌です。この味噌が今年は予想もしない異変に出遭ってしまいました。豪雪で知られる長野県の北部・飯山で作り続けてきた味噌なのですが飯山は90年ぶりの少雪。飯山住民のほとんどが未体験の、あるいは昔語りに聞いたかもしれないという少なさで、地域の代表的な行事「雪まつり」も雪が不足で雪像が出来ず、20キロ離れた山から大型のダンプで搬入をしてやっと開催にこぎつけたとのこと。 それでも12月のうちはこんなこともあるのかな、くらいにしか思わず、寒さが厳しくなくて過ごしやすい正月だと小諸の地で思っていましたが正月三が日が過ぎたころから飯山の積雪が気になって仕方なくなりました。雪中熟成の味噌は毎年、成人式の祝日を過ぎたあたりで埋め込みの日程を立てており、輸送のための予約を運送会社に依頼しなくてはならないからです。年始の仕事はじめの翌日、まずは17日をその日と定めて手配しました。その時点で確認をとった飯山の現地は降雪ゼロでした。成人の日があった連休週明けに確認をしたところ、雪は少し降ったものの、10センチ程度が積もる畑以外の積雪はゼロとの返答。手配をしたトラックのスケジュール変更を慌てて行い、次の手配をすぐ翌週とはせず、改めて確実と思えた1月最終の27日に定めて積雪を待ちました。気が気でならない降雪情報は成人式の翌週も空振り続きでこの変更をした日程も中止せざるを得なくなり‥‥暦の上で寒さが一番厳しい大寒の日もせいぜいマイナス3℃位にしかならず。 経験のなかった自然現象の前に打つすべはないのかと一時は諦めましたが、頭を切り替えて可能な場所を探しましたところ、標高が高い地元・小諸市の高峰高原なら可能ということになり胸をなでおろしたのは言うまでもありません。その後、2月中旬より日本列島に寒気が覆いました。場所や埋め込みの手立て等はいつもと勝手が異なりますが後は天に祈って雪中熟成味噌の出来上がりを待っています。

( M・T )

例年2月の積雪
例年2月の積雪
例年の埋め込み
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