山吹味噌は、信州小諸で創業340余年。
上質な本物の味噌をお届けします。

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 はじめのコーナーが子どもの遊びの話題でしたので、当欄も小諸で3百年余前から続いている八朔相撲についてお話ししましょう。  昔は大人も子どももよく相撲を取りました。素手で取っ組み合うことで相手にケガさせてしまう加減も遊びながら学んだものです。  子ども八朔相撲は京都嵐山の松尾大社や東京府中市の大國魂神社などでも行われています。で、八朔が何かと申しますと八番目の朔日(一日)のこと。8月1日となれば真夏と思いましょうが陰暦ですから今にすれば9月上旬。初秋の田んぼでは稲の穂が出、花が咲き、実(お米)となる大切な時季。台風や害虫、鳥の被害を受ける時でもあるため、八朔に初穂を奉納し、豊作を祈願する祭りが各地で古くから行われてきました。その祭りを執り行う中で子ども八朔相撲も奉納行事化されたよう。  時移り、明治政府は太陽暦を採用。八朔相撲をいつ実施すべい?と各地の大人たちが口角泡を飛ばしたかもしれません。  さて、現在の当地の子ども八朔相撲は八幡様の御祭礼の一行事として毎年9月第一日曜に行われています。  昔は、力士は山吹味噌があります荒町に住む6歳から14歳までの子どもでした。まずは町内を練り歩いた後、神社で土俵開きに移ります。金糸銀糸の刺繍もきらびやかな化粧まわしをして土俵入り。化粧まわしは今も拙宅の蔵のどこかに眠っているはずです。私の記憶ですと幼い組の小組はバンザイをしながら「よんやさ」、次の弓引は四股を踏みながら「こらない、こらない」と掛け声を上げるのが習わし。年長者は中組・大組。横綱がいて、行司役も子どもでした。  小諸八朔相撲そもそもの始まりは小諸城主・仙石秀久が勧進した八幡神社にて、後の小諸藩主のめい命で御祭礼日を八朔とし、荒町町衆に奉納相撲が仰せ付けられた由。江戸時代末までは歴代藩主上覧の御前相撲でした。モノの本によれば江戸幕府では、天正18年(1590)の8月1日に徳川家康が江戸入りしたことにちなみ(家康はゲンを担いで元々吉日である八朔を入府に選んだ、と思いますね)、幕府は八朔を五節句以上の重要日としたそう。小諸藩主も当時の人に絶大な人気のあった相撲を催し、領地をまとめるという目論見もあったかもです。桟敷席は御上様、大目付・下目付、町同心・御役人、小諸4町(市町・本町・与良町・荒町)と区分けされていた由。  再び現代―――土俵入りが終われば取り組みです。今年も来年も、年齢別、3人抜き等が行われることでしょう。  小諸八朔相撲見物においでたら、ぜひご覧いただきたいものがあります。それは土俵の形。当地の土俵は俵を二重にこしらえる形式の蛇の目型。私はそれほど相撲に詳しくはありませんが、昭和初期に大相撲が一重土俵になるまでは二重土俵の方が正式な上、時代や地域によって は四角や三重の八角形の土俵もあったそうな。けれども昭和20〜30年代には全国的に一重になり、小諸は珍しい存在なのだそうです。  子どもの遊び・行事も食生活も伝え続けるのは難しいことです。年長者・大人の役割を改めて考えさせられました。

(当主)

 子どものころに飲んだ甘酒はいつも温かいものでした。江戸時代の甘酒売りも炭火を熾した釜に鍋をのせての移動だった由。甘酒に限らず夏に冷たいものを飲まなかったのは体を冷やさないようにとの配慮もありましょうが、衛生上の理由と冷蔵庫がなかったからではないでしょうか。  話はそれていきますが───ウン十年前の夏休み、東京の親戚の家でコーラなるものを初めて飲んだときのことは忘れられません。運ばれてきた胴がくびれている瓶の表面にたちまち水滴が付いたのは暑い外気と中身との温度差から生じたわけで、茶色い液体の味は薬のよう。そして何という冷たさ! 叔母は氷式冷蔵庫(木製)を見せつつ、氷屋さんが毎日、氷の塊を配達してくれるのだと教えてくれました。その頃、我が家にはまだ冷蔵庫はなく、誰かが急に熱を出したときなどは自転車を飛ばし、鉄道駅近くにある製氷会社だったか天然氷の倉庫だったかで分けてもらい、一刻も早くと戻ったものです。家で好きな時に氷菓を食べている昭和後半以降生まれの人にはチンプンカンプンかもしれません。  氷菓というと『枕草子』、氷室の節会の項を思い浮かべる方もおられましょう。中宮が帝から賜った氷をかき氷にして賞味するのですよね。氷室(氷)の節会の始まりはずっと遡り───仁徳天皇の兄にあたる皇子が大和で狩りをしたときに氷室を見つけ、その氷を持ち帰り天皇に献じたところから、以後、12月に氷を蓄えて、4月朔から9月晦まで用いると定めたとか。その後、6月1日に氷室から取り出した氷を賜わる宮中行事となり、やがては将軍家、各藩、江戸庶民までおこなうまでに。小諸藩も元禄年間(1688〜)に凍氷を貯蔵し藩主に献納したという記録が残っています。  氷室は氷を夏まで貯蔵しておくための装置・室のことをいいますが、自然界だと多くは山陰の礫と礫の間(穴)から地中の冷風が噴き出すので〝風穴〞といいます。全国各地に散見される氷室とか氷の文字が付く地名の大方は風穴に関係アリ。で、小諸藩が氷を貯蔵していた風穴の所在地名は、ずばり〝氷〞。しなの鉄道から見える布引観音の近くの奥まった氷集落にある風穴は複数(全国一の数)なのです。  小諸の町は明治〜大正期、製糸業で大いに発展しました。その裏には風穴の存在が関係していました。年1回の春にしか出来なかったお蚕さんの飼育を、蚕種(蚕の卵)を気温の低い風穴に保存することで時期をずらして年4、5回飼育することが可能となり、繭の量産、生糸の増産に役立てられたのです。同時期、全国に蚕種を貯蔵する風穴は300近くあったようですが、小諸では氷および周辺の14風穴が稼働し、全国有数の蚕種取扱高を誇ったといいます。けれども世界大恐慌により生糸価格は大暴落、製糸業は衰退。使われなくなった風穴はしだいに朽ちてしまいました。今は1基のみが野菜果物漬物保存等に使われて います。  数年前、氷集落の有志により﹁風穴の里保存会﹂が発足、2017年には「全国風穴サミット」も小諸にて開かれました。同時開催した風穴見学ツアーでは私の祖父・小山久左衛門正友が創始した器械製糸工場・純水館の跡地も巡り、当店も協力させてもらいました。

(当主)

 1面でご紹介している格言の「○○」に当てはめる言葉の反対は利口、賢明、聡明。今年は、名前に聡の字が付く将棋少年の大躍進・言動に感心させられましたよね。史上最年少プロ4段が先輩棋士を次々破って7段に。我が子もあやかろうとF・S君が遊んだ知育玩具はたちまち売り切れ状態。し而かして、彼にご登場願ったのは天才ぶりだけではなく味噌にまつわるエピソードがあるからです。  小学校の時に好きな食べ物として挙げた1位は刺身ですが2位が味噌煮こみうどん。出身県愛知名物ではありますが、あの若さで(?)です。高1現在も好物だそうで、東京での対局に出かける前に食べ、対局時のお昼に食すほど。記者が感想を求めると( 私も碁や将棋のタイトル戦の際の食事報道に興味)、愛知のとは違うが「それはそれでおいしかった」。このような受け答えもなかなか出来るものではありません。  煮込みうどんは長野県ほか、米と小麦が二毛作だった地域で今も比較的家庭で食べられている料理だと思います。山梨の〝ほうとう〞、長野でもほうとうと言っていますが県北部の〝おぶっこ( ぶっこみ)〞、群馬の〝お切りこみ〞も、煮込みうどんです。  昔、農山村のお母さんは朝から晩まで休みなしに働き、毎日の食事は出来るだけお金かけず、手間いらず、を心がけました。煮込みうどんなら、材料の小麦・野菜・溜り( 今は好みで醤油か味噌)は自家製ですから取りあえず買い物の必要なし。小麦は水車小屋でまとめて粉に挽いてもらっていましたが、うどんにすることが多いので小麦粉を〝うどん粉〞と言っていました( 輸入品が多くなるとメリケン粉に)。  さて、粉を水だけで柔らかくこね、のしたら幅広に切っておき、次に野菜類準備。それらをぐらぐら煮立った煮干し入りの鍋にぶちこみさえすれば、あとは煮えるのを待つだけ、味を足せば出来上がり。  うどん(饂飩)の由来は古く、ほうとうも中国から伝来した「餺飥(はくたく)」がルーツだとされています。山梨・甲州は武田軍の戦場食だったので各地に広まったとも。  旅に出たらその土地ならではのものを食べたいですよね。名古屋に来たら食べるべしと誘われて初めて食べた味噌煮込みうどんは衝撃。土鍋で煮えたぎる汁はどろりと濃厚、しかし色ほどには塩辛くなくじんわりした旨味滋味。また、うどんの噛み応えあること!  あれから半世紀近く経ちますが、中京方面に所用の折には、この味この味、とほくそ笑えみながら、穴なしの蓋に盛ったご飯に汁をかけて完食するのであります。  とはいえ、私が賞味するのはお店の味噌煮込みうどん。愛知のご家庭ではどんな煮込みうどんを食べていらっしゃるのでしょうか?

(当主)

 学生時代からの友人に誘われ、滋賀県を旅してきました。滋賀県といえば鮒の馴鮓あるいは瀬田シジミを浮かべるのは当方が食い意地を張っているからでしょうか。友人の父上の出身が滋賀とは前に聞いた気がしていましたが、往きの車中でご両親とも近江八幡出身なのだと知らされ、さぞや近江の食に親しみ懐かしかろうと問えば「自分は生まれも育ちも横浜で、親はあまり故郷の味にこだわっていなかったと思う」と。  ついでにお母さんが作ってくれた味噌汁やお味噌について畳み込むと「普通の味噌汁。味噌は信州味噌だったような」(拍子抜け)。  いざ滋賀に着きまして、馴鮓はさておき和食処でも宿の朝食にも蜆汁が出てきません。瀬田シジミは希少なんだな、と実感するとともにいろいろが蘇ってきました。日本在来のシジミには淡水に生息するマシジミとセタシジミ、宍道湖など海水と淡水が混じり合う汽水域に生息するヤマトシジミが主と学校で教わりましたよね。信州でも昭和20 、30年代までは近くの小川や湖沼で採れました。  蜆の味噌汁は私の大好物で、通は汁のみ吸うと聞かされても、面倒がらずに身をせせって食べます。いつからかシジミはスーパーで買うものになって…ある時期、私が蜆汁好きの名を返上する事態が発生しました。臭い貝に出合うようになったのです。それが嫌で、いっそ買うのをやめてくれ、となったのでしたが、それは個人的嗜好の変化ではなく高度経済成長期の負の産物・公害でした。空はスモッグで覆われ、川・湖沼・湾は工場や家庭から浄化されないままの排水や田畑からの高濃度の農薬で汚染。シジミはヘドロにまみれ、蜆漁師の仕事も奪われたと報じたニュースは忘れられません。そして環境再生運動が各地で起きるのでした。  旅報告に戻りましょう。初日は湖北を歩き、2日目には織田信長が眺めたであろう安土城天主閣跡から下界を望みました(築いてわずか3年で城も楽市楽座が開かれた安土の町並みも焼失)。JR琵琶湖線車窓から、あるいは安土山・八幡山の頂上からはどこまでも大きな圃場が広がっていました。滋賀は米どころなのです。だからかもしれません。数か所で出された味噌汁は見た目も風味も米味噌。厨房の方に声をかけると、「汁の実は信長さんも食べていたはずの打ち豆、大根、ねぎ、油揚げ。味噌はここらで食べている普通のですが、京都が近いから白味噌もあるのでこちらを赤味噌と呼ぶこともありますよ」とのこと。それを聞き、友のご実家の味噌汁に信州味噌の名があがったことに納得。  ちなみに打ち豆は大豆をつぶした乾物で、我が家では上越土産(打ち豆汁用)としてもらったのが初見。当店前を通る北国街道は、京から始まる中山道が琵琶湖東にて北国街道(北国路)として湖北を回って加賀に至った後、いわゆる北国街道になるわけで、打ち豆汁も街道沿いに上越に伝わった食かもしれませんが、信州には届かなかった!?  旅最後の食事は滋賀の郷土食が表看板のお店へ。品書きにようやく﹁瀬田蜆汁﹂の文字を見つけたら、お澄ましか赤だしか選ぶとのこと。滋賀県民の皆さんが普通に食す蜆汁には出合えませんでしたが、貴重な瀬田シジミを赤だしでしみじみいただいたのでした。

(当主)

健康をテーマのバラエティー番組「駆け込みドクター!」の取材が昨年暮れにあり、2月1日(日)の夜7時から全国ネットで放映されました。 TVの反響は大きく、夜間のホームページアクセスやネット通販をご利用いただいたお客様の数は今までに経験の無いものでした。 翌日の月曜日には電話での問い合わせと注文が途切れなくあり、窓口担当は昼食もとれずに対応にあたりました。 昨年、長野県は男女とも長寿日本一になり、とりわけ佐久地域は県内でもトップクラスということで関心が向けられたようです。 生活習慣病を減らす取り組みのプログラムにある“減塩”を、業界に先駆けて開発をした味噌メーカーがこの地域にある、として訪ねて来るという筋書きです。 弊社が減塩味噌の開発に取り組んだのは30年以上前のことになります。 信州味噌のように微生物の発酵によって醸し出すタイプのものは、塩分が10%を切ると酸っぱく腐敗(酸敗)してしまうため、業界をはじめ一般の自家醸造の方々もタブーとされてきました。 このタブーに挑戦出来たのは有用酵母菌の純粋培養が可能になったことと、アメリカのNASAが開発した逆浸透膜装置といわれる超精密ろ過の仕組みのお陰でした。 この精密ろ過を使うと、色々なものが含まれる液体の中から分子量の小さな水分だけが分離・排出され、水以外の成分が回収でき、結果的に濃縮された液体が得られます。 弊社はこれを大豆の煮汁に応用し、濃縮した大豆煮汁を酵母菌の自家培養の培地に利用することにより、仕込みの時点で味噌1グラムあたり500万個以上の有用酵母菌を提供することが出来るようになり、悪さをする雑菌類を排除する技術を確立することができました。 この技術により塩分が10%を切るタブーの壁を越えることが出来ただけでなく、更に低い塩分でも醸造が可能の道を開きました。 但し“出来る”と言っても作るのは食べ物ゆえ、使用される際の味の加減を考慮し、現在は9.5%のものと8%のものを商品として送り出しています。 同業の方々の多くは塩分ばなれに沿うように少しずつ低塩化を図っているようで現在流通しているものの多くの一般製品の塩分は12%を切っているようです。 しかしながら伝統の積み重ねは優れていて、塩分の12.5%~13%が大変しっかりした良い味噌を醸し出すことには変わりなく、味・コク・香り いずれも主役でいる座はゆるがないものです。 選択の中で塩分の少ないものは少ないものの特長によって選び、伝統のものは伝統の特長によって選ばれるのが最良と思います。