山吹味噌は、信州小諸で創業340余年。
上質な本物の味噌をお届けします。

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植物には、水と混ぜ合わせると泡立つ成分・サポニンが含まれています。 体に悪影響をもたらすサポニンがある一方、体によい効果をもたらすと注目されているのが大豆に含まれる〝大豆サポニン〟です。 体の酸化が招く健康被害や老化 最近〝体の酸化〟という表現を耳にしませんか。体は酸素を取り入れてエネルギーをつくる過程で一部の酸素が酸化力の強い活性酸素に変化します。そのほとんどは体内に侵入した細菌から強い酸化力で身体を守ったり、酵素の働きを促したりと、健康を維持するために働くのですが、活性酸素が体内で増え過ぎると、酸化力が強過ぎることで血管や細胞を傷つけてしまいます。これが酸化。酸化により動脈硬化などの健康被害や生活習慣病、白髪などの老化現象、記憶力低下等が引き起こされると分かってきました。 大豆サポニンが酸化を防ぐ 実は私たちの体は元々、活性酸素を抑えるための抗酸化酵素を持っています。ところが加齢により酵素量が少なくなるのだとか。自然の摂理ならば補いましょう、というわけで登場するのが抗酸化作用をもつ大豆サポニンです。 大豆サポニンは大豆の胚芽に多く含まれています。ただし不足しているからといって一度にたくさん摂るのは却ってよくなく、微量健康成分なので〝毎日〟〝少しずつ〟補うことが有効とされています。食品で摂るのが理想。 お味噌は丸ごとの大豆から作られていますから、お味噌を何かしらの料理の味付けとして使えばいい! 毎日お味噌汁 いちばん簡単なのはお味噌汁。でもお味噌汁を作るのが大変な時・方も。 そんな場合はフリーズドライ味噌汁が助っ人です。  1面でご紹介している格言の「○○」に当てはめる言葉の反対は利口、賢明、聡明。今年は、名前に聡の字が付く将棋少年の大躍進・言動に感心させられましたよね。史上最年少プロ4段が先輩棋士を次々破って7段に。我が子もあやかろうとF・S君が遊んだ知育玩具はたちまち売り切れ状態。し而かして、彼にご登場願ったのは天才ぶりだけではなく味噌にまつわるエピソードがあるからです。  小学校の時に好きな食べ物として挙げた1位は刺身ですが2位が味噌煮こみうどん。出身県愛知名物ではありますが、あの若さで(?)です。高1現在も好物だそうで、東京での対局に出かける前に食べ、対局時のお昼に食すほど。記者が感想を求めると( 私も碁や将棋のタイトル戦の際の食事報道に興味)、愛知のとは違うが「それはそれでおいしかった」。このような受け答えもなかなか出来るものではありません。  煮込みうどんは長野県ほか、米と小麦が二毛作だった地域で今も比較的家庭で食べられている料理だと思います。山梨の〝ほうとう〞、長野でもほうとうと言っていますが県北部の〝おぶっこ( ぶっこみ)〞、群馬の〝お切りこみ〞も、煮込みうどんです。  昔、農山村のお母さんは朝から晩まで休みなしに働き、毎日の食事は出来るだけお金かけず、手間いらず、を心がけました。煮込みうどんなら、材料の小麦・野菜・溜り( 今は好みで醤油か味噌)は自家製ですから取りあえず買い物の必要なし。小麦は水車小屋でまとめて粉に挽いてもらっていましたが、うどんにすることが多いので小麦粉を〝うどん粉〞と言っていました( 輸入品が多くなるとメリケン粉に)。  さて、粉を水だけで柔らかくこね、のしたら幅広に切っておき、次に野菜類準備。それらをぐらぐら煮立った煮干し入りの鍋にぶちこみさえすれば、あとは煮えるのを待つだけ、味を足せば出来上がり。  うどん(饂飩)の由来は古く、ほうとうも中国から伝来した「餺飥(はくたく)」がルーツだとされています。山梨・甲州は武田軍の戦場食だったので各地に広まったとも。  旅に出たらその土地ならではのものを食べたいですよね。名古屋に来たら食べるべしと誘われて初めて食べた味噌煮込みうどんは衝撃。土鍋で煮えたぎる汁はどろりと濃厚、しかし色ほどには塩辛くなくじんわりした旨味滋味。また、うどんの噛み応えあること!  あれから半世紀近く経ちますが、中京方面に所用の折には、この味この味、とほくそ笑えみながら、穴なしの蓋に盛ったご飯に汁をかけて完食するのであります。  とはいえ、私が賞味するのはお店の味噌煮込みうどん。愛知のご家庭ではどんな煮込みうどんを食べていらっしゃるのでしょうか?

(当主)

 学生時代からの友人に誘われ、滋賀県を旅してきました。滋賀県といえば鮒の馴鮓あるいは瀬田シジミを浮かべるのは当方が食い意地を張っているからでしょうか。友人の父上の出身が滋賀とは前に聞いた気がしていましたが、往きの車中でご両親とも近江八幡出身なのだと知らされ、さぞや近江の食に親しみ懐かしかろうと問えば「自分は生まれも育ちも横浜で、親はあまり故郷の味にこだわっていなかったと思う」と。  ついでにお母さんが作ってくれた味噌汁やお味噌について畳み込むと「普通の味噌汁。味噌は信州味噌だったような」(拍子抜け)。  いざ滋賀に着きまして、馴鮓はさておき和食処でも宿の朝食にも蜆汁が出てきません。瀬田シジミは希少なんだな、と実感するとともにいろいろが蘇ってきました。日本在来のシジミには淡水に生息するマシジミとセタシジミ、宍道湖など海水と淡水が混じり合う汽水域に生息するヤマトシジミが主と学校で教わりましたよね。信州でも昭和20 、30年代までは近くの小川や湖沼で採れました。  蜆の味噌汁は私の大好物で、通は汁のみ吸うと聞かされても、面倒がらずに身をせせって食べます。いつからかシジミはスーパーで買うものになって…ある時期、私が蜆汁好きの名を返上する事態が発生しました。臭い貝に出合うようになったのです。それが嫌で、いっそ買うのをやめてくれ、となったのでしたが、それは個人的嗜好の変化ではなく高度経済成長期の負の産物・公害でした。空はスモッグで覆われ、川・湖沼・湾は工場や家庭から浄化されないままの排水や田畑からの高濃度の農薬で汚染。シジミはヘドロにまみれ、蜆漁師の仕事も奪われたと報じたニュースは忘れられません。そして環境再生運動が各地で起きるのでした。  旅報告に戻りましょう。初日は湖北を歩き、2日目には織田信長が眺めたであろう安土城天主閣跡から下界を望みました(築いてわずか3年で城も楽市楽座が開かれた安土の町並みも焼失)。JR琵琶湖線車窓から、あるいは安土山・八幡山の頂上からはどこまでも大きな圃場が広がっていました。滋賀は米どころなのです。だからかもしれません。数か所で出された味噌汁は見た目も風味も米味噌。厨房の方に声をかけると、「汁の実は信長さんも食べていたはずの打ち豆、大根、ねぎ、油揚げ。味噌はここらで食べている普通のですが、京都が近いから白味噌もあるのでこちらを赤味噌と呼ぶこともありますよ」とのこと。それを聞き、友のご実家の味噌汁に信州味噌の名があがったことに納得。  ちなみに打ち豆は大豆をつぶした乾物で、我が家では上越土産(打ち豆汁用)としてもらったのが初見。当店前を通る北国街道は、京から始まる中山道が琵琶湖東にて北国街道(北国路)として湖北を回って加賀に至った後、いわゆる北国街道になるわけで、打ち豆汁も街道沿いに上越に伝わった食かもしれませんが、信州には届かなかった!?  旅最後の食事は滋賀の郷土食が表看板のお店へ。品書きにようやく﹁瀬田蜆汁﹂の文字を見つけたら、お澄ましか赤だしか選ぶとのこと。滋賀県民の皆さんが普通に食す蜆汁には出合えませんでしたが、貴重な瀬田シジミを赤だしでしみじみいただいたのでした。

(当主)

健康をテーマのバラエティー番組「駆け込みドクター!」の取材が昨年暮れにあり、2月1日(日)の夜7時から全国ネットで放映されました。 TVの反響は大きく、夜間のホームページアクセスやネット通販をご利用いただいたお客様の数は今までに経験の無いものでした。 翌日の月曜日には電話での問い合わせと注文が途切れなくあり、窓口担当は昼食もとれずに対応にあたりました。 昨年、長野県は男女とも長寿日本一になり、とりわけ佐久地域は県内でもトップクラスということで関心が向けられたようです。 生活習慣病を減らす取り組みのプログラムにある“減塩”を、業界に先駆けて開発をした味噌メーカーがこの地域にある、として訪ねて来るという筋書きです。 弊社が減塩味噌の開発に取り組んだのは30年以上前のことになります。 信州味噌のように微生物の発酵によって醸し出すタイプのものは、塩分が10%を切ると酸っぱく腐敗(酸敗)してしまうため、業界をはじめ一般の自家醸造の方々もタブーとされてきました。 このタブーに挑戦出来たのは有用酵母菌の純粋培養が可能になったことと、アメリカのNASAが開発した逆浸透膜装置といわれる超精密ろ過の仕組みのお陰でした。 この精密ろ過を使うと、色々なものが含まれる液体の中から分子量の小さな水分だけが分離・排出され、水以外の成分が回収でき、結果的に濃縮された液体が得られます。 弊社はこれを大豆の煮汁に応用し、濃縮した大豆煮汁を酵母菌の自家培養の培地に利用することにより、仕込みの時点で味噌1グラムあたり500万個以上の有用酵母菌を提供することが出来るようになり、悪さをする雑菌類を排除する技術を確立することができました。 この技術により塩分が10%を切るタブーの壁を越えることが出来ただけでなく、更に低い塩分でも醸造が可能の道を開きました。 但し“出来る”と言っても作るのは食べ物ゆえ、使用される際の味の加減を考慮し、現在は9.5%のものと8%のものを商品として送り出しています。 同業の方々の多くは塩分ばなれに沿うように少しずつ低塩化を図っているようで現在流通しているものの多くの一般製品の塩分は12%を切っているようです。 しかしながら伝統の積み重ねは優れていて、塩分の12.5%~13%が大変しっかりした良い味噌を醸し出すことには変わりなく、味・コク・香り いずれも主役でいる座はゆるがないものです。 選択の中で塩分の少ないものは少ないものの特長によって選び、伝統のものは伝統の特長によって選ばれるのが最良と思います。 前号(平成30年6月)にて、弊社の古い蔵を利用した社員食堂には「行事以誠(ぎょうじいせい)」と墨書された額が掲げられていること、揮毫年は明治9年、龍華山人の文字があること、ついては龍華山人なる人物をあたっていきましたら、京都府2代目知事・槙村正直と判明したことをご紹介しました。今回は、その続きとなります。 江戸時代の後期、もう少しで明治維新を迎えるというころ、小山久左衛門正友(山吹味噌、中興の祖)が、正邦、さわの両親の元に誕生しました。さわの実家は真田(さなだ)の横尾という所にある北澤家です。さわは正友を出産して3か月後、小諸の町に流行(はや)ったコレラに患って不幸にも亡くなります。 さわの兄にあたる北澤金平(きんぺい)は妹が嫁いで産んだ正友の成長を大変気にかけていたようで、20歳の成人を迎えた時に、京都へ留学の手引きをします。 金平が甥の正友を案内出来たのは、本人が明治2年から10年間にわたり京都の役所に奉職し、広い人脈を構築していたからです。この時期に京都で働いていた金平と額の作者・槙村正直の交流の証(あかし)が「行事以誠」の書。時は明治9年、槙村は44歳の副知事職、金平は総務部長職だったと思われます。小山の家を大事に思うところから、大切な副知事の書を小諸の家に寄贈したのです。 以前、NHKの朝の連続ドラマで信州の味噌屋を舞台にした『かりん』という番組が放映されたことがありました。スタジオ収録の舞台美術に必要な味噌の大桶や味噌漉しの機械、包装用のシール機など、味噌造りに使用している用具を大型トラック5台分ほど貸し出す協力をしましたが、事前に「味噌屋が持っているモットー」を探していた番組スタッフからこの「行事以誠」額について取材を受けました。 「事を行うに誠をもってす(誠をもって事を行う)」を社員の指針・会社の目標としているとお伝えしたからか、スタッフは現物を見て大喜び。こちらも初めはそのまま貸し出すつもりでしたが、額が大き過ぎてスタジオのサイズに収まりきれないことが分かり、縮小して製作したものをスタジオ内にしつらえた客間に掲げる設定で登場したのでした。 「蔵まつり」などの際に社員食堂がイベント会場となることもありますので、その機会には壁の額もご覧いただけたらと思います。

( M・T )