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山吹のたより

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2018.11.01

小山家 家範

写真は弊社オーナー家の家範(家訓)です。今はそっと母屋座敷に掲げられていますが、先代が小山敬三叔父(洋画家)から聞いた話では、敬三の父(小山久左衛門正友/山吹味噌中興の祖)は元日の朝の恒例として家範を家族一同で声に出して読み上げさせたということです。例えばこんなふうに。

一にいわ曰く、孝行を崇び、(二に曰く)友恭を篤うする。(三に曰く)宗族を睦 み、(四に曰く)姻党に厚うす。(五に曰く)子孫を教え、(六に曰く)内外を厳にす。(七に曰く)礼儀を崇び、(八に曰く)耕読を守り、(九に曰く)訟獄を遠ざけ、(十に曰く)荒暴を戒む。

この家範を小山家に授けてくれたのは、近代最後の文人画家とされる富岡鉄斎です。

いわれは——明治時代を生きた正友は20歳の成人を迎えた時、叔父の手引きで京都留学を経験しました(前号紹介)。西川藁園(こうえん)塾に入塾すると同時に、上賀茂神社の宮司について漢学を学ぶうちに、当時まだ有名でなかった富岡鉄斎と出会い、私淑します。鉄斎との交流は正友が小諸へ帰郷した後も長く続き、幾つもの書画を書(描)いてもらうこととなります。その一つが家範なのでした。

敬三によると、正友が、当時当主だった父・正邦の言い付けで鉄斎に、家族や家業の指針になるものを依頼した由。当主として自分の代に指針を明らかにしておきたいという願いを強くもったのでしょう。これを受けた鉄斎は、中国の故事や文化、歴史に対して大変造詣が深かったこともあり、任氏と呼ばれる優れた中国の一族が自家の指針としているものを紹介する形で書いて寄こします。以来、この家範は小山家の人々のバックボーンとなるのです。

——昭和40年代のこと、この家範に併せての解説文が出てきました。罫紙5枚を細字でぎっしり埋めているのは鉄斎自筆。翁独特の解釈が施された貴重なものであります。

( M・T )

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