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山吹のたより

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2019.05.31

小諸の町に まつわること、人 ~子ども八朔相撲~

 はじめのコーナーが子どもの遊びの話題でしたので、当欄も小諸で3百年余前から続いている八朔相撲についてお話ししましょう。
 昔は大人も子どももよく相撲を取りました。素手で取っ組み合うことで相手にケガさせてしまう加減も遊びながら学んだものです。
 子ども八朔相撲は京都嵐山の松尾大社や東京府中市の大國魂神社などでも行われています。で、八朔が何かと申しますと八番目の朔日(一日)のこと。8月1日となれば真夏と思いましょうが陰暦ですから今にすれば9月上旬。初秋の田んぼでは稲の穂が出、花が咲き、実(お米)となる大切な時季。台風や害虫、鳥の被害を受ける時でもあるため、八朔に初穂を奉納し、豊作を祈願する祭りが各地で古くから行われてきました。その祭りを執り行う中で子ども八朔相撲も奉納行事化されたよう。
 時移り、明治政府は太陽暦を採用。八朔相撲をいつ実施すべい?と各地の大人たちが口角泡を飛ばしたかもしれません。

 さて、現在の当地の子ども八朔相撲は八幡様の御祭礼の一行事として毎年9月第一日曜に行われています。
 昔は、力士は山吹味噌があります荒町に住む6歳から14歳までの子どもでした。まずは町内を練り歩いた後、神社で土俵開きに移ります。金糸銀糸の刺繍もきらびやかな化粧まわしをして土俵入り。化粧まわしは今も拙宅の蔵のどこかに眠っているはずです。私の記憶ですと幼い組の小組はバンザイをしながら「よんやさ」、次の弓引は四股を踏みながら「こらない、こらない」と掛け声を上げるのが習わし。年長者は中組・大組。横綱がいて、行司役も子どもでした。

 小諸八朔相撲そもそもの始まりは小諸城主・仙石秀久が勧進した八幡神社にて、後の小諸藩主のめい命で御祭礼日を八朔とし、荒町町衆に奉納相撲が仰せ付けられた由。江戸時代末までは歴代藩主上覧の御前相撲でした。モノの本によれば江戸幕府では、天正18年(1590)の8月1日に徳川家康が江戸入りしたことにちなみ(家康はゲンを担いで元々吉日である八朔を入府に選んだ、と思いますね)、幕府は八朔を五節句以上の重要日としたそう。小諸藩主も当時の人に絶大な人気のあった相撲を催し、領地をまとめるという目論見もあったかもです。桟敷席は御上様、大目付・下目付、町同心・御役人、小諸4町(市町・本町・与良町・荒町)と区分けされていた由。

 再び現代―――土俵入りが終われば取り組みです。今年も来年も、年齢別、3人抜き等が行われることでしょう。
 小諸八朔相撲見物においでたら、ぜひご覧いただきたいものがあります。それは土俵の形。当地の土俵は俵を二重にこしらえる形式の蛇の目型。私はそれほど相撲に詳しくはありませんが、昭和初期に大相撲が一重土俵になるまでは二重土俵の方が正式な上、時代や地域によって
は四角や三重の八角形の土俵もあったそうな。けれども昭和20〜30年代には全国的に一重になり、小諸は珍しい存在なのだそうです。

 子どもの遊び・行事も食生活も伝え続けるのは難しいことです。年長者・大人の役割を改めて考えさせられました。

(当主)

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