山吹味噌は、信州小諸で創業340余年。
上質な本物の味噌をお届けします。

オンラインショップ
山吹のたより

山吹のたより

2019.05.31

小諸の町に まつわること、人 ~氷集落の風穴~

 子どものころに飲んだ甘酒はいつも温かいものでした。江戸時代の甘酒売りも炭火を熾した釜に鍋をのせての移動だった由。甘酒に限らず夏に冷たいものを飲まなかったのは体を冷やさないようにとの配慮もありましょうが、衛生上の理由と冷蔵庫がなかったからではないでしょうか。
 話はそれていきますが───ウン十年前の夏休み、東京の親戚の家でコーラなるものを初めて飲んだときのことは忘れられません。運ばれてきた胴がくびれている瓶の表面にたちまち水滴が付いたのは暑い外気と中身との温度差から生じたわけで、茶色い液体の味は薬のよう。そして何という冷たさ! 叔母は氷式冷蔵庫(木製)を見せつつ、氷屋さんが毎日、氷の塊を配達してくれるのだと教えてくれました。その頃、我が家にはまだ冷蔵庫はなく、誰かが急に熱を出したときなどは自転車を飛ばし、鉄道駅近くにある製氷会社だったか天然氷の倉庫だったかで分けてもらい、一刻も早くと戻ったものです。家で好きな時に氷菓を食べている昭和後半以降生まれの人にはチンプンカンプンかもしれません。

 氷菓というと『枕草子』、氷室の節会の項を思い浮かべる方もおられましょう。中宮が帝から賜った氷をかき氷にして賞味するのですよね。氷室(氷)の節会の始まりはずっと遡り───仁徳天皇の兄にあたる皇子が大和で狩りをしたときに氷室を見つけ、その氷を持ち帰り天皇に献じたところから、以後、12月に氷を蓄えて、4月朔から9月晦まで用いると定めたとか。その後、6月1日に氷室から取り出した氷を賜わる宮中行事となり、やがては将軍家、各藩、江戸庶民までおこなうまでに。小諸藩も元禄年間(1688〜)に凍氷を貯蔵し藩主に献納したという記録が残っています。

 氷室は氷を夏まで貯蔵しておくための装置・室のことをいいますが、自然界だと多くは山陰の礫と礫の間(穴)から地中の冷風が噴き出すので〝風穴〞といいます。全国各地に散見される氷室とか氷の文字が付く地名の大方は風穴に関係アリ。で、小諸藩が氷を貯蔵していた風穴の所在地名は、ずばり〝氷〞。しなの鉄道から見える布引観音の近くの奥まった氷集落にある風穴は複数(全国一の数)なのです。

 小諸の町は明治〜大正期、製糸業で大いに発展しました。その裏には風穴の存在が関係していました。年1回の春にしか出来なかったお蚕さんの飼育を、蚕種(蚕の卵)を気温の低い風穴に保存することで時期をずらして年4、5回飼育することが可能となり、繭の量産、生糸の増産に役立てられたのです。同時期、全国に蚕種を貯蔵する風穴は300近くあったようですが、小諸では氷および周辺の14風穴が稼働し、全国有数の蚕種取扱高を誇ったといいます。けれども世界大恐慌により生糸価格は大暴落、製糸業は衰退。使われなくなった風穴はしだいに朽ちてしまいました。今は1基のみが野菜果物漬物保存等に使われて
います。

 数年前、氷集落の有志により﹁風穴の里保存会﹂が発足、2017年には「全国風穴サミット」も小諸にて開かれました。同時開催した風穴見学ツアーでは私の祖父・小山久左衛門正友が創始した器械製糸工場・純水館の跡地も巡り、当店も協力させてもらいました。

(当主)

山吹のたより分類