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山吹のたより

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2020.10.06

明智光秀と汁 ~EPISODE 2~

 明智光秀ゆかりの猪汁を出す店に行かないか、と友人。曰く、光秀の浪人時代、輪番制で味噌汁を出す汁講の番が同ってきたときに奥さんが髪を売ってもてなした猪汁を再現しているとのこと。食べてみたいねえ、いずれ一緒に行こう、となりましたが、光秀の妻が髪を……という黒髪伝説は聞いたことがあるものの、光秀が汁講!?猪汁を出した!?そんな説あったかなぁとモヤモヤも少し残りました。

 いわゆる黒髪伝説とは――越前・称念寺にて浪人中の光秀に住職が仕官につながればと連歌会の段取りをしてくれますが、日々の糧すら欠く毎日。困り果てる光秀に妻は「お任せあれ」。会が終わって後、どう工面したのか問うと「黒髪を切って売りました」。女の命である髪を切ってまで自分に尽してくれる妻に報いるため光秀は一念発起し仕官の旅へ。朝倉氏、そして織田信長の下で頭角を現していく後半生、妻から受けた恩を常に忘れません、というもの。江戸初期には、かの芭蕉が「月さびよ明智が妻の話せん」と詠み、読本や芝居の材ともなり、多くの人々が知る伝説となったのでした。

 では、光秀=汁講・猪汁情報はいずこから?現代はネット検索というものがあって便利ですね。すると光秀=汁講について『名将言行録』という書物がヒット、「光秀貧賤のころ朋友が集まって輪番に汁講して談話した/妻が髪を切ってあつらえた」と載るということがサクサク出てきました。

 実際この目で見たく 図書館に向かいますと、明治2年に刊行されたというその本は武将178人の言行事蹟をさまざまな書物から抜粋した全70巻の大著ということで一般図書館にて見ることが出来たのはダイジェスト版。そこに光秀は取り上げられておらず残念無念。
 しかし、『武士のメシ』(永山久夫著/宝島社)を見つけました。永山氏といえば大河ドラマの食事の再現や時代考証を手掛けてきた食文化史研究の第一人者です。その本に登場させた19武将の中に明智光秀もいて、見出しはまさに「汁講の膳」。本文内で氏は「『名将言行録』に妻が髪を売って……というエピソードを記すともに、「『名将言行録』には具材に関する記述はないため、当時の味噌汁の具として一般的だった里芋、ごぼう、ねぎを入れ、さらに豪勢さを表現するためにイノシシ肉を加えて、光秀の汁を再現」と記し、猪汁や汁講に客人各々が持参したであろうメンパに入ったご飯の再現写真を掲載していました。
 光秀ゆかりの猪汁をますます食べたくなりました。ちなみに『名将言行録』の徳川光圀(水戸黄門)の項にも汁講の話が登場するようです。編纂に要した幕末期、汁講の語は武将たちの戦い以外の人柄を伝えるに格好の題材だったのかもしれませんね。

 はてさて、明智光秀の話題から飛んで、時は昭和半ば、私は京都の四条あたりをぶらついておりました。腹の虫が鳴って食べ物屋を物色。白い大暖簾に惹かれて入りますと定食があり、汁ものは赤・白味噌、すましから選べるというので、せっかく京都に来たのですから白味噌で注文。口福を得たことでした。
“志る幸”さんは今も盛況のようです。店名の由来が「汁講」にあると知ったのはつい最近のこと。この年になるまでとんと気付かなかったとはお恥ずかしい限り・・・・。

(当主)

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