山吹味噌は、信州小諸で創業340余年。
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山吹のたより

山吹のたより

2019.05.31

琵琶湖のほとりで 食した味噌汁

 学生時代からの友人に誘われ、滋賀県を旅してきました。滋賀県といえば鮒の馴鮓あるいは瀬田シジミを浮かべるのは当方が食い意地を張っているからでしょうか。友人の父上の出身が滋賀とは前に聞いた気がしていましたが、往きの車中でご両親とも近江八幡出身なのだと知らされ、さぞや近江の食に親しみ懐かしかろうと問えば「自分は生まれも育ちも横浜で、親はあまり故郷の味にこだわっていなかったと思う」と。
 ついでにお母さんが作ってくれた味噌汁やお味噌について畳み込むと「普通の味噌汁。味噌は信州味噌だったような」(拍子抜け)。

 いざ滋賀に着きまして、馴鮓はさておき和食処でも宿の朝食にも蜆汁が出てきません。瀬田シジミは希少なんだな、と実感するとともにいろいろが蘇ってきました。日本在来のシジミには淡水に生息するマシジミとセタシジミ、宍道湖など海水と淡水が混じり合う汽水域に生息するヤマトシジミが主と学校で教わりましたよね。信州でも昭和20 、30年代までは近くの小川や湖沼で採れました。
 蜆の味噌汁は私の大好物で、通は汁のみ吸うと聞かされても、面倒がらずに身をせせって食べます。いつからかシジミはスーパーで買うものになって…ある時期、私が蜆汁好きの名を返上する事態が発生しました。臭い貝に出合うようになったのです。それが嫌で、いっそ買うのをやめてくれ、となったのでしたが、それは個人的嗜好の変化ではなく高度経済成長期の負の産物・公害でした。空はスモッグで覆われ、川・湖沼・湾は工場や家庭から浄化されないままの排水や田畑からの高濃度の農薬で汚染。シジミはヘドロにまみれ、蜆漁師の仕事も奪われたと報じたニュースは忘れられません。そして環境再生運動が各地で起きるのでした。

 旅報告に戻りましょう。初日は湖北を歩き、2日目には織田信長が眺めたであろう安土城天主閣跡から下界を望みました(築いてわずか3年で城も楽市楽座が開かれた安土の町並みも焼失)。JR琵琶湖線車窓から、あるいは安土山・八幡山の頂上からはどこまでも大きな圃場が広がっていました。滋賀は米どころなのです。だからかもしれません。数か所で出された味噌汁は見た目も風味も米味噌。厨房の方に声をかけると、「汁の実は信長さんも食べていたはずの打ち豆、大根、ねぎ、油揚げ。味噌はここらで食べている普通のですが、京都が近いから白味噌もあるのでこちらを赤味噌と呼ぶこともありますよ」とのこと。それを聞き、友のご実家の味噌汁に信州味噌の名があがったことに納得。
 ちなみに打ち豆は大豆をつぶした乾物で、我が家では上越土産(打ち豆汁用)としてもらったのが初見。当店前を通る北国街道は、京から始まる中山道が琵琶湖東にて北国街道(北国路)として湖北を回って加賀に至った後、いわゆる北国街道になるわけで、打ち豆汁も街道沿いに上越に伝わった食かもしれませんが、信州には届かなかった!?

 旅最後の食事は滋賀の郷土食が表看板のお店へ。品書きにようやく﹁瀬田蜆汁﹂の文字を見つけたら、お澄ましか赤だしか選ぶとのこと。滋賀県民の皆さんが普通に食す蜆汁には出合えませんでしたが、貴重な瀬田シジミを赤だしでしみじみいただいたのでした。

(当主)