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山吹のたより

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2020.11.04

豚汁の ルーツは!?

 豚汁のルーツは諸説あり、けんちん汁、薩摩汁、屯田兵の汁、牡丹鍋などが挙がるそうですが、私は牡丹鍋の原形と思われる〝猪汁〟を推したいです。なぜなら豚汁は全国区のお味噌汁であり、時代性も加味したいからです。
 牡丹鍋と猪汁は同じでしょ!?まあ、似て非なる、でしょう。まず、猪汁は日本人との付き合いがとんでもなく長い汁物です。どのくらい長いかって? 縄文人が土器を生み出したころから原形はあったと言ってもいい!?
 人間が火を見い出すまでは植物も動物・魚貝も生食でした。火を手に入れたことにより炙って食べるようになり、土器を発明したことにより、煮て食べることが始まったわけです。植物を舌や肌に当て毒がないことを確かめ、狩った獣肉や漁した魚貝も沸騰水で煮ることによって安全さが増したはずです。海水や岩塩によって味付けの妙も知ったことでしょう。

 日本人は農耕民族といいますが、農耕・稲作が始まる前は当然ながら採取・狩猟して食料を確保していました。貝塚や遺跡からは哺乳動物の骨が見つかるそうで、その9割は鹿および猪なんだとか。
 猪=イノシシの名が出たので申しますと、古い大和言葉では魚肉をウヲ、鴨などの禽肉をトリ、獣肉をシシと呼ぶそう。ですからイノシシとは「猪(イ)」の肉のことをさすのですね。「鹿(カ)」の肉を現代人はシカニクと言っていますが昔はカノシシと言っていたそうです。

 飛鳥時代に我が国に仏教が伝えられると動物の殺生と肉食が禁じられるように。しかし奈良・平安時代、以前より習慣として食べられていた鹿と猪は獣肉であっても禁じられなかったそうです。なぜなら、鹿猪は田畑を荒らす害獣だったからです。捕らえた猪を飼育し家畜化も始まりました。ただし貴族は肉食を禁忌し、鳥や魚を食しました。鎌倉時代になると武士が台頭し、獣肉に対する禁忌は薄まりました。僧・法然は自身の肉食は忌避していましたが、肉食をしても念仏を唱えれば救われると説いたと授業で教わった気がします。
 徳川の治世、5代将軍・綱吉が生類憐れみの令を発令。法自体は一時的だったのに肉食は憚かられるものとして浸透し、鹿を紅葉、馬を桜・けとばし、猪は牡丹・山くじらと隠語で呼ぶ洒落も楽しみ、滋養になるというわけで、肉食全体を薬喰いと称したのでした。
 中でも味がよい上に、すぐ精気に効き目があると言われたのが猪肉。猪は最も脂がのる冬が一番とされ、猪が手に入った日には囲炉裏または竈に大鍋でたっぷり猪汁(猪の味噌汁)を作り、大人数で薬喰いしたことでしょう。そんなに体にいいなら都会人だって食べたいのが人情。江戸の町はずれ、麹町あたりには獣肉を扱う店が軒を連ねていたそうです。皆さんも「山くじら」の看板が描かれた雪の日の江戸百景図をご覧になったことがあるかもしれません。当時、店で出されたのが牡丹鍋。そのころ七輪が発明され、一人でも少人数でも鍋を食せるようになったのです。猪汁とは作り方も異なり、甘味噌で土手を作り、猪肉を葱・牛蒡、汁とともに煮つつ食するものでした。

 そんなこんな、日本全土の先人に猪肉の汁物と長い付き合いがあったことがご理解いただけましたでしょうか。近代になって豚肉が出回った時には猪汁や牡丹鍋に慣れてきたベースがありました。肉を豚肉に替えて、豚汁の始まりです。
 長野県の南端・遠山郷で、畑を荒らして困る猪を捕獲している猟師さんから話を聞き、その足で山肉料理店へ向かったことがありました。最近は猪や熊が山里どころか町に出没したというニュースをよく目にし、気がかりです。

(当主)

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