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山吹のたより

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2021.06.07

鍋 〜台所の道具〜                     

 私達ヒトが暮らしていくうえで必然的に生まれた鍋──もちろんみそ汁作りに欠かせません。ちょっと、ひもといてみましょう。
 
 人類は火を獲得したことによって獣から身を守れるようになり、火を調理に使うことによって栄養を摂取しやすくなったのは数百万〜数十万年前といわれています。
 獲物を焚火で焼くのに骨に刺したり、平らな石にのせて加熱。水を沸かす道具が必要になり、発明したのが土製の鍋でした。木のマタで作った支えに吊るすため、藤蔓などを付けられるように穴を開け、蔓が焦げない工夫もされました。我が国に限ると、まず浮かぶのが縄文式土器ですよね。私が若い頃は祭祀に使われたと教わりましたが、今どきの情報では日常の煮炊きに使われた跡があるものも出土されているようです。縄文式以降、面がデコボコしていない弥生式土器のようになるのは、何度でも使用に耐えられ、洗えることを優先させたからかもしれません。
 やがて青銅器、鉄器が大陸から渡来し、中でも鉄製の鍋は輸入品で大変貴重でした。一般の人も使える国産品が普及したのはずっと後の鎌倉時代。蔓も丈夫な鉄製になりました。炉の時代の形は半球型だったのが、竈が発明されると、置くのに適する平鍋や片手型も生まれていきます。

 鉄鍋はなくてはならないものとして大切に扱われましたがサビ易いうえ、毎日使い続ければ穴が開いたりヒビが入ります(慣用句にある「割れ鍋に綴じ蓋」の割れ鍋は、そういう鍋をさしているんですね)。でも修理してくれる鋳掛屋さんがどの町にもあり、どの家でも長年にわたって使い続けることが出来ました。修理が効かないほどになったら引き取ってもらえ、鋳物屋、やがて鋳物工場で溶かして型に流し込んで再び鍋となるのでした。
 ところが日本中の家庭にあった鉄鍋が或る時、姿を消してしまいます。太平洋戦争の戦局悪化により昭和16年、国家総動員法・金属回収令が出され、家々は鍋など鉄でできたものをすべて(タンスの取っ手まで!お寺は梵鐘・仏具まで!)お国のために供出。銃後の庶民はすぐペコペコにへこんでしまう薄手のアルマイト製鍋を大切に使ったのでした。釉をかけない素焼きの土鍋も出回ったそうですが、もろかったと聞いています。

 戦争が終わって料理を作れる時代が戻ってきました。経済白書が「もはや戦後ではない」と記した次には高度経済成長期が到来し、新聞の家庭欄、婦人雑誌、テレビがさまざまな料理とともに作るに必要な鍋を見せつけるものですから(!?)それらの料理を作って家族に食べさせたい、鍋を自分で買わないまでも贈答に鍋がよく使われた時代も経て‥‥台所の棚を見れば、年に数回でも活躍しているならまだしも、数年来、登場することなく断捨離の矢面に立っている鍋がお宅でも一つや二つでないのでは?

 今や、電子レンジや、コンビニ・スーパーのお陰で鍋を持たなくても温かい食事にありつけます。甥っ子はモノを持たない、料理もしない、とミニマリストふうを気取っていましたが、昨年以来テレワークとなり、その余波か鍋を買ったというので味噌を送ってやりました。「自分で作った味噌汁がまたおいしいんだ」「もっと料理の幅を広げるために新たな鍋を物色中」とのこと。それはそれでよかったと安堵する今日この頃‥‥鍋について話し始めるとキリがありませんので、この辺で筆を置きましょう。

(当主)

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